タイの伝統影絵芝居、ナンヤイとナンタルン

ナンタルン

ナンヤイ(Nang yai)

タイにおける影絵劇ではナンヤイとナンタルンが有名だ。
特にナンヤイはタイ全土的に伝わる影絵劇で、「大きな影絵人形」という意味であるナンヤイという名前からも伝わるように、等身大の大きな人形を使用することが特徴である。

ナンヤイの影絵人形は水牛や牛の皮に色をつけて作られ、重さは3〜4kg、大きいものは5〜7kgにもなる。
写真をてわかるとおり、人形は非常に大きく団扇のような形をしているものが多い。デザインは非常に様式化されており、演者はその大きな影絵人形を2本または1本の棒で操る。

ナンヤイで語られるエピソードはインドの叙事詩ラーマーヤナ(タイではラーマキエンと呼ばれる)が取り入れられており、ピファットなどのタイの伝統楽器によって、各エピソードに合わせた音楽が演奏される。

ナンヤイの影絵公演は芝生や村のオープンスペースなどで行われ、横幅約16メートル、高さ約6メートルにもなる大きな白い布のスクリーンがステージに張られる。現在は電灯がよく使われているが、伝統的には画面の後ろで焚き火が行われ、その灯りによって人形の影が映し出される。

ナンヤイもナンタルンも15世紀の初め頃に始まったと言われ、1458年にはすにでナンヤイに関する記録が見つかっている。

ナンヤイ

ナンタルン(Nang talung)

ナンタルンがタイ全土で知られる一方、タイ南部で有名な伝統的な影絵劇がナンタルンだ。

ナンヤイとも共通するナンというのは「革」という意味だが、その「ナン」と南部の都市「パッタル」が一緒になったのが語源と言われ、マレーシアの影絵劇・ワヤンゲデク(WAYANG KULIT GEDEK)にも影響を与えたと言われている

ナンタルンは等身大の人形を利用するナンヤイと打って変わって、用いられる人形は小さく、15〜50センチ程度のサイズで、人形と語り部、音楽などで構成され、歌は「Wa bot」と呼ばれる方言で歌われる。

タイ南部で長く人気を保ってきた伝統影絵劇ナンタルンだが、複雑な形式であることから徐々に衰退しており、伝統文化として残すための保存運動が起こっている。

ナンヤイ

参考文献

Unima Internationale. “Thailand”. World Encyclopedia of Puppetry Arts, 2022-1-10
Lian Lim, Siew. “The Role of Shadow Puppetry in the Development of Phatthalung Province, Thailand”. Southeast Asia Club Conference, Northern Illinois University, 2013

中国の影絵7~皮影戲の流派(四)西北地方

皮影戲分布図

隴東(ろうとう)皮影戲

隴東皮影戲が発展した甘粛省慶陽市では、皮影戲だけでなく、小袋、刺繡、切り絵などの多くの民俗文化が発展していた。隴東皮影は、そうした秦隴文化と周囲の民族文化や道教文化との融合によって形成され、宋代に始まったといわれる。

隴東の影絵人形は平涼市と慶陽市に分布し、陝西省、甘粛省、寧夏回族自治区に隣接する三角形の地域に集中しており、デザインはキャラクターの個性にあわせて、眉、目、鼻、口、あごひげなどを誇張する。材料は一般的に、薄くて丈夫かつ柔軟で、透明で発色も良い若くて毛色の黒い雄牛の皮を選ぶ。

現在は、「無形文化遺産の生産的保護のための実証基地」にも指定され、甘粛省の無形文化遺産として保護プロジェクトの対象となっている。

西皮影

影絵芝居は陝西省では「影戯」や「影子戯」とも呼ばれ、陝西省北部、陝西省南部、関中のほぼすべての地域で見られる。

陝西省の影絵人形は東部、西部、南部で人形のサイズや歌が異なる。人形のデザインはシンプルだが、装飾性が多く精緻であり、全体的に華やかである。

陝西皮影戲は漢王朝以前に始まったと考えられ、陝西皮影戲の全盛期は唐時代で、伝統的な演目には、「哪吒鬧海(哪吒の大暴れ)」「游西湖」、「古城会」などがある。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵6~皮影戲の流派(三)華北地方

皮影戲分布図

冀南皮影戲(河北)

冀南皮影戲は河北省の影絵芝居で、2千年前の西漢で誕生し、清代に盛んになったといわれる。陝西や唐山の影絵芝居と比較すると、古くからの伝統様式をそのまま多く維持しているのが特徴だ。

冀南皮影戲の起源は北京宮廷の影絵芝居と言われ、それが冀南に伝わって河北南部に分布し、邯鄲市肥郷県を中心とした広範な地域に影響を及ぼしたとされる。南皮影戲の発祥地となった肥郷では皮影戲を「牛皮影」、「皮子戯」、「突皮戯」、「片目戯」と呼んでいる。

冀南皮影戲の影絵人形は比較的シンプルで牛革によって作られる。基本的に台本はなく、ユーモラスな会話と共に即興的に演じられる。通常7〜8人で公演を行い、伴奏には二胡、三弦、大鼓、各種ドラなどが用いられる。

演目のレパートリーも豊富で、「西遊記」「封神演義」「三国志演義」「隋唐演義」「楊将軍」「包拯事件」をはじめ、多くのストーリーが演じられた。

山西皮影

山西には2400年の歴史を持つ山西孝義皮影、様々な伝統的な図案がよく見られる山西晋南皮影、清代から始まった清徐皮影戲など、多くの皮影戲の流派が見られる。

山西の皮影戲は、地理的にも近い陝西影絵芝居と似ており、影絵人形で使われる線は破線、実線のほか、虚実線、絵線、暗線が使用される。

虚実線は華麗に見えるため、貴族の建築、置物、衣装などによく使われるが、陝西世襲豪族と少女の恋愛を描いた伝統的な演目である「拾玉鐲」でもそうした山西皮影の特徴を見ることができる。

北京西城皮影

北京皮影の代表ともいえるのが北京西派皮影戲で、北京皮影西城派とも呼ばれる。北京地区の都市影絵芝居は、遼金時代に始まったといわれ、北宋時代にはすでに成熟していた。

北京西派は、山陝皮影、河南江浙皮影、滦州東北皮影などの特長を継承しながら数百年の発展と進歩を経て北京皮影を形成したと言われる。精緻で変化に富む表現と透視効果を重視していることが主な特色である。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵5 -皮影戲の流派(二)華東・華中地方

皮影戲分布図

浙江皮影(海寧皮影戲)

浙江海寧皮影戲は華東に位置する浙江省海寧市に分布する影絵芝居で、南宋時代に首都・臨安にやってきた北宋の影絵師によって広まったと言われる。

海寧皮影戲では、北宋音楽と海寧音楽の融合により独特で古風な音楽が生み出されており、笛、二胡などの伝統楽器によって演奏が奏でられ、海寧方言が用いられる。音楽の曲調は高らかで、激しくも優雅で結婚式などのお祝いの場で演じられることが多い。

また、海寧は蚕糸を豊富に生産するため、蚕農家は豊作を祈願するため、影絵劇団を招いて一晩中公演させながら蚕を育てたともいわれ、こうして演じられた皮影戲は「蚕花戯」または「蚕花班」と呼ばれた。

海寧皮影戲は通常4〜5人ほどで、人形は牛革で作られ、演目には「西遊記」「水滸伝」「封神演義」「双玉印」「聚宝盆」「後玉婿蜒」など300近くものレパートリーがある。1930年代には、海寧に数十の影絵劇団と数百人の演者がいたといわれ、邱兆兴、陳玉林、張九元、沈金松といった多くの影絵師が知られた。

しかし、影絵芝居の衰退により海寧皮影戲もまた衰退し、1950年頃にはプロ劇団はなくなり、数えられるほどのアマチュア劇団しか存在しなくなった。現在は、国や海寧市による国家無形文化遺産代表プロジェクトの運営などによって維持されている。

湖北皮影江漢平原皮影戲

華中地方、湖北省の中央と南部に位置する江漢平原では、古代より青銅、竹、木、皮革、切り紙などの工芸が盛んで、影絵芝居誕生に良好な条件が整っており、皮影戲も盛んに演じられた。

湖北の皮影戲は、人形が大きい江漢平原系、人形が小さい陝西系があるが、江漢平原系の影絵は見た目が鮮やかで、約70〜80センチと大型の影絵人形を用い、湖北省の皮影戲の代表的存在となっている。

江漢皮影戲の中でも特に有名なのが沔陽(べんよう)皮影戲だ。民族色が濃く、牛皮を使用した人形に丁寧な細工が施される。基本的に詳細な台本はなく、演者がベースの物語に基づいてユーモアを交えながら即興で歌や筋を展開する。

その口頭文学芸術形式は、江漢平原の影絵芝居の主要な特徴であり、三国志、水滸伝、西遊記など300以上の多くの演目がある。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵3~皮影の制作

皮影

影絵人形の様式

皮影戲で使用する影絵人形や道具は、全て「皮影(ピーイン)」と呼ばれ、演者自身の手によって、皮に美しい彫刻や彩色が施されて作られることが多い。

大きさは小さいものは約10センチ、大きくても55センチ程度で東南アジアの影絵に比べると小さめな作りになっている。また、施される模様は、女性は花、草、雲、鳳、男性は竜、虎、水、雲などが多く、善人と悪人の顔のスタイルが違うなど、ある程度様式が定められている。

美女の皮影

影絵人形(皮影)の制作工程

皮影戲における影絵人形は、動物の皮から毛や血を除去し、皮を薄く半透明にして桐油を塗り、その上に図を描いて彫り、色を塗った後、脱水作業を行なった後に連結させることによって作られる。

中国は広大であるため、地域ごとに人形や素材の特色はあるものの、こうした制作過程はほぼ同じである。

ステップ1 皮の制作

影絵人形の材料となる動物の皮は現地のものが使われるため、地域によって異なるが、羊、ロバ、豚、牛などの皮が多く使われる。古くはロバや羊の皮が多かったが、現在は牛皮が最も広く利用されている。

皮を加工する方法は「浄皮」と「灰皮」と言う二つの方法がある。

「浄皮」は、きれいな冷たい水に2〜3日皮を浸した後、まず皮を剃り、その後肉を削り落とし、徐々に薄くなるように剃る。更に皮が薄くなるまで綺麗な水に浸して厚さを均一にした後、再び削ってきれいに透明になるまで乾かして完成となる。

「灰皮」は「軟刮」ともいい、皮を浸す際に薬剤(酸化カルシウムや硫化ナトリウム、硫酸、硫酸アンモニウムなどを調合したもの)を水に入れ、繰り返し浸す。この方法で剃った皮は、ガラスに似ていて、彫刻するのに適している。

ステップ2 図案を描く

皮影戲の影絵人形は皮によって作る人形の部位が異なり、薄くて透き通った皮は頭、胸、腹などに用いられ、厚くて透明度の低い皮は、足や他の一般的な道具に使用する。こうすることによって原料を節約するだけでなく、人形の上半身を軽くして、下半身を重くすることができ、安定感をもたせることができる。

彫刻する際は湿った布で皮を柔らかくした後、少し油を入れてより滑らかにしてから図を描く。図案は代々継承された図を見本に彫られることが多く、デザインには帛画(ハクガ、絹布に描かれた絵画)、石像画、寺院の壁画の手法などが取り入れられている。

ステップ3 皮を彫る

皮に図案を彫るための彫刻工具は10本以上使われるのが一般的であり、多い場合は30本以上もある。刃物は幅の異なる尖刀、平刀、円刀、三角刀などを用い、線状、丸模様、曲がりくねった模様など、切る模様によって工具を使い分ける。

なお、皮影では人間の白い顔を表現するために、輪郭と目鼻口を残して切り抜く方法が多く用いられる。

ステップ4 色を付ける

彫るのが終わったら色を付けるが、かつてのベテラン職人は鉱植物で染料までも自ら作成して着色していた。色は主に赤、黄、青、緑、黒などの5種類を使い、種類は多くないが、濃淡をつけ、巧みに図案を表現する。

ステップ5 脱水

色を塗った後、適度な高温で皮内に残った水分を飛ばす脱水作業を行う。方法は様々だが、薄い板で皮影を挟んで押さえる方法、皮影を布で包んでアイロンをかける方法などがある。

脱水時の温度が適切であれば、皮は色鮮やかで透明な美しい皮影が出来上がり、さらには長期間色あせせず変形もしづらくなるため、脱水作業は重要な工程といえるだろう。

ステップ6 部位の連結

皮影の人物は、通常頭、胸、腹、両足、両腕、両肘、両手、計11の部品で形成され、自由自在に動かせるようになっており、頭をすげ替えることによって別の人形にすることもできる

人形の各関節部分は、肢体を重ね合わせたことに発生する多重影を少なくするために、車輪式になっている。車輪を通じてつなぐ点を「骨眼」と呼ぶが、骨眼が適切であれば動きがよく、逆にそうでなければ動きがおかしくなる。

骨眼を決定後、釘などで結合し、動かすための3本の竹棒をつけ、反転のための胸部の糸を付けて針金でつなげ、更に両手に各1本の糸を付けて、皮影(影絵人形)の完成となる。

三蔵法師の皮影

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵2~皮影戲の上演

皮影戲の上演

皮影戲の上演形式

皮影戲の上演では、二胡、板胡、雲鑼など中国の伝統的な弦楽や打楽器などを用いて地域やその時代ごとの流行曲を奏で、その演奏に合わせて演者たちが白い幕の後ろで人形を操り、さまざまなストーリーを演じる。

演者は人形をスクリーンに密着させ、竹の棒を使って操るが、柔軟に操るだけでなく、話し、読み、歌い、足元では銅鑼や太鼓を鳴らすことなども行う。
スクリーンの大きさは様々だが、移動用の場合は1平方メートル程度で、持ち運びもできるようになっている。

劇団の人数は様々だが、小さな劇団は3〜4人で構成され、2人が影絵人形を持って歌い、1〜2人が演奏する。人形の数が増えたり、オーケストラやボーカルを導入したりするなどして人数が多くなるケースもある。

多くの場合、皮影戲の演者は師匠につくなどして長年にわたって技術を取得するため、楽器を巧みに操り、高い歌唱力を持っている。また、人形の操術に関しても名手は一人で8つの影絵人形を同時に操ることができると言われる。

代表的な演目

皮影戲で上演される演目は、三国志や水滸伝などの歴史演義劇、金瓶梅や白蛇伝などの民間伝説劇などの他、武侠劇(アクション物)、ラブストーリー、神話寓話、地域ごとのオリジナルストーリーなど数え切れないほど多い。さらに戦後は現代劇も発展し、亀と鶴、東郭先生、白毛女、劉胡蘭、小二黒の結婚など多くの作品を生み出した。

宗教色の強いワヤン・クリなど他国の影絵芝居と比較すると、演目の種類や幅は圧倒的に広く、中国の影絵芝居がいかに大衆娯楽として発展していたことがわかるだろう。こうした大衆娯楽要素の強い皮影戲は、戯曲や演劇、映画など、多くの中国の芸術に密接に関係し、その後の中国の大衆娯楽の発展に大きな影響を与えることになる。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵1~中国の伝統影絵芝居 「皮影戲」

「皮影戲」の由来

中国の影絵芝居は「皮影戲(ピーインシー)」と呼ばれ、宗教要素が強いインドネシアのワヤン・クリと異なり、大衆娯楽としての要素が大きい。

中国で影絵を指す言葉としては他にも「手影(手影絵)」、「剪影(紙を切ったシルエットアート)」などの言葉があり、「皮影戲」は基本的に人形を使った影絵劇を指す。日本語で言うところの「影絵」はあまり一般的ではないが、漢字から意味は通じる。

「皮影戲」は動物の皮で作られた影絵人形や道具を用いたことから「皮の影絵の芝居」という意味である「皮影戲」という名が影絵劇全般を指す言葉として定着した。

皮影戲の起源と特性

皮影戲の歴史は非常に古く、記録から西漢に始まって唐代に広まり、清代に盛んに演じられたことがわかっている。また、13世紀頃の元代にはモンゴル帝国の世界的拡大と共に、イラン、アラブ、トルコ、タイ、ミャンマー、マレー諸島などのほか、ドイツやイギリスなどのヨーロッパ、ロシアなど広域にわたって伝わり、各地の伝統芸術にも影響を与えたと考えられる。

影絵芝居が始まったきっかけには下記のような説があるが、いずれも伝説の域を出ない。

  • 楚漢の争いの時に張良が敵を惑わすために影絵を使ったという説
  • 前漢の文帝の時に妃が人形を裁断して網戸に映して演じ、太子はそれを鑑賞したところから始まったとする説
  • 漢の武帝が愛する夫人を亡くした時、悲しみに明け暮れた皇帝を慰めるために夫人の影絵を作ったという説
  • 唐と5代の間に始まり、和尚が影絵を死者の魂としたことによって始まったとする説

皮影戲は今でこそテレビやインターネットに取って代わられたが、かつては中国における代表的大衆娯楽だった。また、中国は広大であるため、地域ごとに方言や地域の文化を取り入れた様々な影絵芝居が演じられるなど、地域性・多様性も皮影戲の特徴の一つといえるだろう。

皮影戲の隆盛

西漢から始まったといわれる皮影戲だが、明代武宗の頃には東城、西城の2派を形成するなど、大衆娯楽としての地位を固めていた様子がうかがわれる。

その後、清代には多くの官僚や豪族が影絵芝居の設備を備えてプライベートの影絵芝居を上映したり、影絵人形師に人形を彫ってもらったりすることを誇りとし、皮影戲の地位は最盛期に達した。康熙帝の頃には、王府には多くの影絵芝居専門の役人がいるなど、皮影戲は宮廷でも大きな地位を得ている。

中国の影絵芝居は大衆娯楽としての要素が強いため、大衆の間でも盛んに公演が行われた。田舎では様々な影絵上映会があり、旧正月や祝日だけでなく、結婚式、宴会などのお祝いの場でも影絵芝居は欠かせないものとなった。

ときには徹夜で上演を行い、十日程度上演することもあったと言われる。お祝いの席で徹夜上演される影絵芝居は当時の人々にとって大きな楽しみであっただろう。

皮影戲の衰退

清代後期になると、地方政府の一部は影絵芝居によって夜に多くの人が集まって、反政府運動などの事件が発生することを恐れて、影絵芝居の上映を禁止し、影絵芝居公演者の逮捕なども行った。

さらに清代末になると、白蓮教の乱に巻き込まれて拘束されたたり、戦乱によって民衆は生きることに精一杯となり、皮影戲は大きく衰退した。

第二次世界大戦以降は、全国各地で残った影絵劇団や演者が再び活躍し始め、1955年から各地域で影絵劇団を組織され、公演や文化芸術交流が行われるようになったが、文化大革命によって再び下火になっていく。チャン・イーモウ監督の『活きる』で、文化大革命当時の影絵師の姿が描かれているが、観てみるのも面白いだろう。

元来、複雑で難易度の高い制作工程、色褪せや場所などによる保存問題などいくつかの課題があった皮影戲だが、文化大革命後はテレビやインターネットの発展など時代の変化に伴い、大衆娯楽としての地位を失っていくことになる。

伝統芸術としての発展

皮影戲の上演

大衆娯楽としては衰退した皮影戲だが、中国では多くの戯曲や劇が皮影戲から派生しており、培われた演劇や芸術としての知見は映画の発明や発展にも先導的な役割を果たした。

こうした元祖大衆娯楽ともいえる皮影戲を中国の伝統芸術として残す活動は国家単位で活発的に行われており、2007年には湖北省雲夢皮影芸術団と山東省泰安市範正安皮影工作室が、中国の第1回文化遺産賞を受賞したり、2018年には上海演劇学院が影絵芝居中華優秀伝統文化伝承基地として指定されたりなどしている。

また、2006年には中国の第一次国家非物質文化遺産リストに登録され、2011年にはユネスコ無形文化遺産に登録されているなど、中国の大衆娯楽であった皮影戲は世界の伝統芸術として発展を遂げている。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

影絵とは

影絵とは

影絵とは

影絵とは、紙や動物の皮などを切ったり彫ったりして、人間や動物、風景などを作り、光源から光を当てることで、創作表現をおこなったもの。人形などが動く「影絵芝居・影絵人形劇(シャドウプレイ)」のほか、手や体で影を作る「手影絵」、紙を切って光を当てた「影絵(シルエットアート)」などがある。

影絵における表現は、スクリーンに投影された影を利用するのが一般的だが、スクリーンの裏に人形等を密着させて表に画を描いたもの、スクリーンを使わないが切った紙に光を当てて創作表現を行ったものなど、光と切った紙などを利用した創作表現も広義の影絵に含む。

影絵で作られるキャラクターや背景などには、着色するタイプとそうでないタイプがある。着色する場合、各国に伝わる伝統的な影絵芝居などでは、透明にした皮に着色料を使って色をつけることが多く、現代影絵では色セロファン、カラーフィルターなどを使うことが多い。

猫

アジアの影絵

各国の伝統影絵芝居には、大衆娯楽的要素が強い影絵、宗教的要素が強い影絵がある。前者には中国の皮影戲、トルコのカラギョズなどがあり、後者にはインドネシアのワヤン・クリ、インドの影絵芝居などがある。伝統影絵芝居は、戯曲や歌などと共に、後ろから操った人形の影をスクリーンに投影して、表舞台にいる観客に演目を披露するのが一般的であり、お祝いや宗教的な催事の際に催されるケースが多い。

様式としては、必ずしもそうでない場合もあるが、使用される人形は、大衆的要素が強い場合は色をつけることが多く、宗教要素が強い場合は単色になる傾向にある。これは影絵の影には神秘性があると捉えられているためと考えられる。
また、皮影戲やワヤン・クリのように手や腕が稼働するタイプ、タイのように団扇のようになっていて基本的に手や腕は動かないタイプなどがある。

世界の有名な伝統影絵芝居としては、中国の皮影戲、インドネシアのワヤン・クリがよく知られるが、その他にもインド、タイ、マレーシア、カンボジア、トルコなどで影絵芝居がよく知られている。

皮影

ワヤン・クリ

ヨーロッパの影絵

前項のとおり、伝統影絵芝居の歴史的中心地は、中国、東南アジア、インド半島のアジア地域であり、ヨーロッパの影絵は中国の皮影戲がモンゴル帝国の拡大時に伝わった説、インド半島から伝わった説などがあるが、確実な証拠はない。

いずれにしても伝統影絵芝居の歴史がアジアを中心としていたことは異論がないところであるが、17世紀のフランス、イタリア、イギリス、ドイツでは影絵人形劇が人気があったことが伝わっている。現代も伝統様式を残しているアジアの伝統影絵芝居とは異なり、ヨーロッパの影絵は複雑な模様は施さず、人間や動物のシルエットを利用した比較的なシンプルなデザインであるのが特徴であり、様式美よりもストーリーに重点を置いてる傾向にある。

ヨーロッパではドイツのロッテ・ライニガーなどの世界的影絵アニメ作家が誕生しており、伝統文化としてではなく影絵アニメとして進化し、アニメーションの世界にも大きな影響を与えている。独自の様式美を持った伝統文化とまではなってなかったゆえに、時代に合わせた変化が容易だった故の変革と考えると興味深い。

関連リンク:世界の影絵

LotteReiniger
引用:Lotte Reiniger/Primrose Productions

日本の影絵

日本における伝統影絵は主に手や体を利用した手影絵の部類であり、江戸時代には、手影絵の他、走馬灯、切り抜きの影絵、写し絵なども存在した。

歴史資料としては、1810年に手影絵のパロディを記した「和蘭影絵(十返舎一九/於都里伎・作、 喜多川月麿・画)』などが残されており、江戸時代の庶民に影絵が親しまれていたことがわかる。

戦後は1946年に『木馬座(人形劇場ジュヌ・パントル)』、1952年に『かかし座』などの影絵劇団も誕生している。

手影絵

中国の影絵4~皮影戲の流派(一)華南地方

皮影戲分布図

中国は国土が広いため、地域によって文化が異なり、影絵芝居もまた地域ごとに異なる流派を形成した。音楽や歌い方、方言、人形、材料、制作工程など、地域ごとにそれぞれの特徴がある。

代表的な流派としては、冀南皮影、湖北皮影、北京皮影、唐山皮影、山東皮影、山西皮影、陝西皮影、隴東皮影、海寧皮影、陸豊皮影、四川皮影などの影絵芝居が知られている。各地域の皮影戲について、まずは華南地方から紹介していこう。

陸豊皮影戲 (広州皮影)

中国の影絵芝居は北部と南部で大きく分かれるが、陸豊皮影戲は南部にあたる広州と潮州の中間に位置する陸豊で発展した皮影戲だ。

陸豊皮影戲は華南地域で唯一残っている影絵芝居であり、中国の三大影絵芝居の一つである潮州皮影戲の遺物でもあり、文化的価値は高い。現在は国家無形文化遺産に指定され、保護プロジェクトの対象になっている。

陸豊皮影戲は民間から生まれて発展し、閩南語系列の方言を用いる。影絵人形の大きさは60センチほどで、牛革でできており、顔がはっきりしているのが特徴だ。宋代に形成された陸豊影絵芝居は、明、清の時代に盛んに行われて普及した。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
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