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台湾の影絵

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2022.02.10更新

台湾の影絵

台湾の影絵芝居(皮猿戲・皮戲)

中華圏における影絵芝居は一般的に皮影戲と呼ばれるが、台湾における影絵芝居は皮猿戲または皮戲とも呼ばれ、清代にはすでに台南、高雄、屏東などで盛んに行われており、台湾南部一帯には100以上の劇団が存在したといわれる。

台湾影絵芝居の起源は中国の皮影戲にまで遡る。中国皮影戲には北影と南影があり、さらに地域によって秦晋系、滦州系、山東系、杭州系、川鄂滇系、湘贛系、潮州系などの系統がある。一般的に、台湾皮影戲は潮州皮影系に属するといわれる。

台湾影絵芝居の起源

皮影戲は中国の漢代から始まり、北宋に興り、発展の過程で、地方演劇などを吸収しながら、様々な流派を形成した。皮影戲で有名なのは河北、北西、福建・広東などである。

台湾影絵芝居の成り立ちには下記のような幾つかの説があるが、いずれにして地理的に近い福建と広東がルーツであり、強く影響を受けている。

皮影戲

台湾影絵の特徴

台湾の影絵人形20~30センチ程の大きさが多く、台湾にはロバはいないため、主に牛皮で作られる。人形の頭の多くは側面で、単眼の「五分顔」であり、色は赤、緑、白、黒の4色を使う。台湾皮影戯は別名「皮猿戯」と呼ばれるが、人形の顔が猿に似ているのも特徴の一つだ。

音楽や節回しは、広東の潮調を踏襲している。よく使われる楽器は太鼓、拍子木、銅鑼、椰子胡などで、演奏効果は元の特色を維持している。

台湾の影絵芝居は神様へのお祈りや結婚式などのお祝いの時に、お寺の前や主催者宅の庭などで上演されるのが一般的だ。劇団の人数は一般的に4〜7人で一人が主に影絵芝居を演じ、一人はアシスタントで、残りは演奏や手伝いを担当する。

台湾影絵芝居の演目

台湾影絵芝居の演目の多くは元、明南劇を継承しており、300冊ほどの脚本が現存する。主な演目は歴史伝説と民間伝承に由来する物語で、文劇と武劇の2種類に分けられる。
よく演じられる演目には「西遊記」、「孫臏下山」、「鄭三宝下西洋」、「哪吒鬧海」「高良徳」、「孟日紅」、「師馬都」、「蔡伯喈」、「蘇雲」などがある。

台湾の影絵劇団

高雄市皮影戲館

台湾にある影絵芝居劇団のほとんどは高雄にあり、高雄は有名な皮影戲県となっている。また、高雄県岡山には高雄市皮影戲館あり、影絵芝居の宣伝と普及、研究、展示などを行なっている。

2000年くらいまで、台湾には6つの影絵劇団があったが、合興皮影戲團(安樂皮影戲團)、復興閣皮影戲團、福徳影絵芝居劇団など、多くの劇団が団長が亡くなった後に活動を停止している。ここでは2018年以降に活動歴が確認できる数少ない影絵劇団を紹介する。

東華皮影戲團

「東華影絵芝居劇団」の元々の名称は「三乳壇影絵劇団」で、早期に創立した台湾の有名な影絵劇団である。日本の統治下では第一奉公団であるため、唯一公式公演ができた。その後、張徳成は「三乳壇影絵劇団」を「東華影絵劇団」と改名し、改良や脚本を革新した。一九五二年から一九六七年間、「西遊記」や「済公伝」で台湾各地の劇場で公演し、人気を集め、日本やアメリカでも何度も公演を行った。

関連リンク:東華皮影戲團Facebook

永興楽皮影戲團

台湾影絵の黎明期に創始者の張利によって創立された。文劇「蔡伯喈」と「蘇雲」、武劇「薛仁貴征西」と「薛仁貴征東」を得意とし、創立当時は固定の劇団名を利用していなかったが、1978年に「永興楽影絵芝居劇団」と正式に命名した。典型的な家族影絵劇団で、後継者も比較的多い。 「六国誌」、「五虎平南」、「封神榜」の公演で有名である。

関連リンク:永興楽皮影戲團Facebook

華洲園皮影戲團

1969年に友人と協力して台北で布袋戯団を創立した林振森が、1993年に「華洲園影絵劇団」を設立した。メンバーは林振森夫婦のほか、子供や親戚、友人である。脚本は、教育面の意義や短い民間伝承物語が多いが、より多くの歴史小説及び神話物語などを改編した演目の上演も行なっている。

参考文献

高雄市立歴史博物館, “認識皮影戲”,  高雄市皮影戲館, 2022-2-10
高雄市政府文化局,幻影説戯. 高雄市立歴史博物館, 2015, 196p.
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013