影絵手帖

月岡グリムの影絵ブログ

日本の影絵-手影絵と写し絵

世界の影絵

2023.03.10更新

日本の影絵-手影絵と写し絵

十返舎一九画『和蘭影絵 於都里伎』

日本の伝統影絵

日本の伝統影絵は、主に手を使った「手影絵」や幻灯機を使った「写し絵」や「回り灯籠」などが知られており、それ以外に錦影絵などもある。

手影絵は、手や指を使って動物や人物などの影を表現する遊びであり、灯火によって壁や障子、襖などに形を映し、江戸時代頃から庶民によって楽しまれていた。

「写し絵」は、幻灯機を使い、映し出した動く絵と共に語りと音楽を楽しむもので、日本のアニメーションの源流とも言われている。幻灯機は、オランダから伝わったものを日本人独自の発想で展開し、木製にして軽く手に持って操作できるようにした。

また、夏の風物詩である「回り燈籠」は、幻灯機を用いて円筒の切り抜かれた形が外枠に影絵となって映って回転し、子供たちに大変人気があった。

映し出されるキャラクターは動きを分解した絵を連続して映し出すことで、現代のアニメーションを見るような動きのある映像が楽しめ、文楽などの人形芝居の要素や説経節、落語などの「語り」と楽曲が結びつき、オーディオビジュアルなエンターテイメントとなり、当時の人々を楽しませた。

伝統影絵の衰退

大正時代以降、映画の普及によって写し絵は衰退していった。震災や戦災によって多くの資料が失われたことも写し絵の存続に悪影響を与えた。寄席以外での演出や、大道芸や祭りの余興なども見つけることができず、次第に人々の記憶から消えていった。

明治時代になると、日本には新しい技術や文化が導入され、写し絵もその影響を受けることとなった。幻灯機が改良され、石油ランプや電球が使用されるようになり、より明るく美しい映像が映し出されるようになったのである。
また、映像に音楽や語りが加わるようになり、より豊かなエンターテイメントとして楽しまれるようになった。

平成5年、劇団みんわ座によって「江戸写し絵」が復活し、現代に伝統を受け継ぐ活動が行われるようになった。江戸時代に生まれた影絵や写し絵は、現代のメディアアートの源流としても注目されている。