2022.05.20更新
ロッテ・ライニガー(Lotte Reiniger / 1899)は、ドイツの映画監督で影絵アニメーション作家。
最も有名な作品は世界最古の長編アニメ映画の一つといわれる「アクメッド王子の冒険(1935)」だが、他にも「パパゲーノ(1935)」「ドリトル先生アフリカ行き(1928)」「白雪姫とローズレッド(1954)」など、40本以上の影絵アニメを制作している。
影絵アニメにおける世界的第一人者としてだけでなく、独特な表現手法やマルチプレーンカメラの開発など、アニメ映画黎明期の多くのアニメ作家、映画作家に影響を与えた。
ロッテ・ライニガーは、 1899年にベルリンで生まれ、子供の頃に中国の影絵(皮影戲)と切り絵に触発されたことにより、ドイツのシルエット芸術であるシェレンシュニット(Scherenschnitte)を学び、家族や友人のために人形劇をおこなったといわれる。
10代になると彼女は映画へ情熱を注ぎ、ドイツの先駆的な映画監督として知られるポールウェゲナーの下で働いた。この時にウェゲナーの映画でタイトルカードをシルエットで作り、後々の影絵の才能を見せている。
数年後、ライニガーは自身でも映画製作を始め、さらに自分の映画をアニメ化した。その後、彼女はアニメ製作の世界に浸かり、実験アニメと短編映画のスタジオであるグラウビュンデン文化研究所に入り、そこで創作パートナーにもなる夫や前衛的な友人たちに出会う。
この頃に彼女が最初に監督した短編アニメ映画は好評を博し、国際的にも彼女の名が知れ渡り、多くの短編映画や広告を作るきっかけとなり、数年にわたってグリム兄弟のシンデレラなど6つの短編映画を製作した。
引用:N.N./Agentur Primrose Film Productions
1923年、ライニガーは資本家のルイス・ハーゲンから依頼を受け、千夜一夜物語をベースにした長編影絵アニメ映画の「アクメッド王子の冒険」を製作することになる。成功した最も古い長編アニメの一つといわれるディズニーの「白雪姫と七人の小人」ですら、それより10年以上後のことであり、当時としては非常にチャレンジングであった。1926年に「アクメッド王子の冒険」は完成するが、この作品は彼女の名をさらに高め、続けて「ドリトル先生アフリカ行き(1928)」を3部構成で製作した。「アクメッド王子の冒険」は1936年にヴェネツィア映画祭の当時の最高賞であるムッソリーニ賞を受賞している。
やがて、ナチス・ドイツの台頭に伴い、左翼運動にも加わっていたライニガー夫妻は海外へ拠点を移し、1933年から1944年にかけて各国を移動した。
この期間にパリの映画監督ジャン・ルノワール、ローマではルキノ・ヴィスコンティらとと共に12本の映画を製作しており、「カルメン(1933)」「パパゲーノ(1935)」などが有名な作品として知られている。
第二次世界大戦が始まると、彼女はヒトラーの支配下でドイツのためのプロパガンダ映画を作ることを余儀なくされたが、終戦後はロンドンに移り、短い広告映画をいくつか制作し、1953年にはルイス・ハーゲン・ジュニアと共にプリムローズプロダクションを設立し、グリム童話をベースにした短いアニメ映画を12本以上制作した。
1963年に夫が亡くなると、彼女はドイツに戻ってさらに3本の映画を制作し、最後の映画である「The Four Seasons」を完成させた1年後に82歳で亡くなった。
彼女のアニメ界や映画界における世界的功績は大きく、1936年のヴェネツィア映画祭・ムッソリーニ賞以外に1972年にドイツ映画賞の金のフィルムバント賞、ドイツ連邦共和国功労勲章などが与えられている。
引用:Lotte Reiniger/Primrose Productions
Reiniger Lotte. “Scissors Make Films”. International Film Magazine: Sight and Sound. 2022-5-20
Sterritt, David . “The Animated Adventures of Lotte Reiniger”. Quarterly Review of Film and Video. . 2022-5-20