中国の影絵3~皮影の制作

皮影

影絵人形の様式

皮影戲で使用する影絵人形や道具は、全て「皮影(ピーイン)」と呼ばれ、演者自身の手によって、皮に美しい彫刻や彩色が施されて作られることが多い。

大きさは小さいものは約10センチ、大きくても55センチ程度で東南アジアの影絵に比べると小さめな作りになっている。また、施される模様は、女性は花、草、雲、鳳、男性は竜、虎、水、雲などが多く、善人と悪人の顔のスタイルが違うなど、ある程度様式が定められている。

美女の皮影

影絵人形(皮影)の制作工程

皮影戲における影絵人形は、動物の皮から毛や血を除去し、皮を薄く半透明にして桐油を塗り、その上に図を描いて彫り、色を塗った後、脱水作業を行なった後に連結させることによって作られる。

中国は広大であるため、地域ごとに人形や素材の特色はあるものの、こうした制作過程はほぼ同じである。

ステップ1 皮の制作

影絵人形の材料となる動物の皮は現地のものが使われるため、地域によって異なるが、羊、ロバ、豚、牛などの皮が多く使われる。古くはロバや羊の皮が多かったが、現在は牛皮が最も広く利用されている。

皮を加工する方法は「浄皮」と「灰皮」と言う二つの方法がある。

「浄皮」は、きれいな冷たい水に2〜3日皮を浸した後、まず皮を剃り、その後肉を削り落とし、徐々に薄くなるように剃る。更に皮が薄くなるまで綺麗な水に浸して厚さを均一にした後、再び削ってきれいに透明になるまで乾かして完成となる。

「灰皮」は「軟刮」ともいい、皮を浸す際に薬剤(酸化カルシウムや硫化ナトリウム、硫酸、硫酸アンモニウムなどを調合したもの)を水に入れ、繰り返し浸す。この方法で剃った皮は、ガラスに似ていて、彫刻するのに適している。

ステップ2 図案を描く

皮影戲の影絵人形は皮によって作る人形の部位が異なり、薄くて透き通った皮は頭、胸、腹などに用いられ、厚くて透明度の低い皮は、足や他の一般的な道具に使用する。こうすることによって原料を節約するだけでなく、人形の上半身を軽くして、下半身を重くすることができ、安定感をもたせることができる。

彫刻する際は湿った布で皮を柔らかくした後、少し油を入れてより滑らかにしてから図を描く。図案は代々継承された図を見本に彫られることが多く、デザインには帛画(ハクガ、絹布に描かれた絵画)、石像画、寺院の壁画の手法などが取り入れられている。

ステップ3 皮を彫る

皮に図案を彫るための彫刻工具は10本以上使われるのが一般的であり、多い場合は30本以上もある。刃物は幅の異なる尖刀、平刀、円刀、三角刀などを用い、線状、丸模様、曲がりくねった模様など、切る模様によって工具を使い分ける。

なお、皮影では人間の白い顔を表現するために、輪郭と目鼻口を残して切り抜く方法が多く用いられる。

ステップ4 色を付ける

彫るのが終わったら色を付けるが、かつてのベテラン職人は鉱植物で染料までも自ら作成して着色していた。色は主に赤、黄、青、緑、黒などの5種類を使い、種類は多くないが、濃淡をつけ、巧みに図案を表現する。

ステップ5 脱水

色を塗った後、適度な高温で皮内に残った水分を飛ばす脱水作業を行う。方法は様々だが、薄い板で皮影を挟んで押さえる方法、皮影を布で包んでアイロンをかける方法などがある。

脱水時の温度が適切であれば、皮は色鮮やかで透明な美しい皮影が出来上がり、さらには長期間色あせせず変形もしづらくなるため、脱水作業は重要な工程といえるだろう。

ステップ6 部位の連結

皮影の人物は、通常頭、胸、腹、両足、両腕、両肘、両手、計11の部品で形成され、自由自在に動かせるようになっており、頭をすげ替えることによって別の人形にすることもできる

人形の各関節部分は、肢体を重ね合わせたことに発生する多重影を少なくするために、車輪式になっている。車輪を通じてつなぐ点を「骨眼」と呼ぶが、骨眼が適切であれば動きがよく、逆にそうでなければ動きがおかしくなる。

骨眼を決定後、釘などで結合し、動かすための3本の竹棒をつけ、反転のための胸部の糸を付けて針金でつなげ、更に両手に各1本の糸を付けて、皮影(影絵人形)の完成となる。

三蔵法師の皮影

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵2~皮影戲の上演

皮影戲の上演

皮影戲の上演形式

皮影戲の上演では、二胡、板胡、雲鑼など中国の伝統的な弦楽や打楽器などを用いて地域やその時代ごとの流行曲を奏で、その演奏に合わせて演者たちが白い幕の後ろで人形を操り、さまざまなストーリーを演じる。

演者は人形をスクリーンに密着させ、竹の棒を使って操るが、柔軟に操るだけでなく、話し、読み、歌い、足元では銅鑼や太鼓を鳴らすことなども行う。
スクリーンの大きさは様々だが、移動用の場合は1平方メートル程度で、持ち運びもできるようになっている。

劇団の人数は様々だが、小さな劇団は3〜4人で構成され、2人が影絵人形を持って歌い、1〜2人が演奏する。人形の数が増えたり、オーケストラやボーカルを導入したりするなどして人数が多くなるケースもある。

多くの場合、皮影戲の演者は師匠につくなどして長年にわたって技術を取得するため、楽器を巧みに操り、高い歌唱力を持っている。また、人形の操術に関しても名手は一人で8つの影絵人形を同時に操ることができると言われる。

代表的な演目

皮影戲で上演される演目は、三国志や水滸伝などの歴史演義劇、金瓶梅や白蛇伝などの民間伝説劇などの他、武侠劇(アクション物)、ラブストーリー、神話寓話、地域ごとのオリジナルストーリーなど数え切れないほど多い。さらに戦後は現代劇も発展し、亀と鶴、東郭先生、白毛女、劉胡蘭、小二黒の結婚など多くの作品を生み出した。

宗教色の強いワヤン・クリなど他国の影絵芝居と比較すると、演目の種類や幅は圧倒的に広く、中国の影絵芝居がいかに大衆娯楽として発展していたことがわかるだろう。こうした大衆娯楽要素の強い皮影戲は、戯曲や演劇、映画など、多くの中国の芸術に密接に関係し、その後の中国の大衆娯楽の発展に大きな影響を与えることになる。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵1~中国の伝統影絵芝居 「皮影戲」

「皮影戲」の由来

中国の影絵芝居は「皮影戲(ピーインシー)」と呼ばれ、宗教要素が強いインドネシアのワヤン・クリと異なり、大衆娯楽としての要素が大きい。

中国で影絵を指す言葉としては他にも「手影(手影絵)」、「剪影(紙を切ったシルエットアート)」などの言葉があり、「皮影戲」は基本的に人形を使った影絵劇を指す。日本語で言うところの「影絵」はあまり一般的ではないが、漢字から意味は通じる。

「皮影戲」は動物の皮で作られた影絵人形や道具を用いたことから「皮の影絵の芝居」という意味である「皮影戲」という名が影絵劇全般を指す言葉として定着した。

皮影戲の起源と特性

皮影戲の歴史は非常に古く、記録から西漢に始まって唐代に広まり、清代に盛んに演じられたことがわかっている。また、13世紀頃の元代にはモンゴル帝国の世界的拡大と共に、イラン、アラブ、トルコ、タイ、ミャンマー、マレー諸島などのほか、ドイツやイギリスなどのヨーロッパ、ロシアなど広域にわたって伝わり、各地の伝統芸術にも影響を与えたと考えられる。

影絵芝居が始まったきっかけには下記のような説があるが、いずれも伝説の域を出ない。

  • 楚漢の争いの時に張良が敵を惑わすために影絵を使ったという説
  • 前漢の文帝の時に妃が人形を裁断して網戸に映して演じ、太子はそれを鑑賞したところから始まったとする説
  • 漢の武帝が愛する夫人を亡くした時、悲しみに明け暮れた皇帝を慰めるために夫人の影絵を作ったという説
  • 唐と5代の間に始まり、和尚が影絵を死者の魂としたことによって始まったとする説

皮影戲は今でこそテレビやインターネットに取って代わられたが、かつては中国における代表的大衆娯楽だった。また、中国は広大であるため、地域ごとに方言や地域の文化を取り入れた様々な影絵芝居が演じられるなど、地域性・多様性も皮影戲の特徴の一つといえるだろう。

皮影戲の隆盛

西漢から始まったといわれる皮影戲だが、明代武宗の頃には東城、西城の2派を形成するなど、大衆娯楽としての地位を固めていた様子がうかがわれる。

その後、清代には多くの官僚や豪族が影絵芝居の設備を備えてプライベートの影絵芝居を上映したり、影絵人形師に人形を彫ってもらったりすることを誇りとし、皮影戲の地位は最盛期に達した。康熙帝の頃には、王府には多くの影絵芝居専門の役人がいるなど、皮影戲は宮廷でも大きな地位を得ている。

中国の影絵芝居は大衆娯楽としての要素が強いため、大衆の間でも盛んに公演が行われた。田舎では様々な影絵上映会があり、旧正月や祝日だけでなく、結婚式、宴会などのお祝いの場でも影絵芝居は欠かせないものとなった。

ときには徹夜で上演を行い、十日程度上演することもあったと言われる。お祝いの席で徹夜上演される影絵芝居は当時の人々にとって大きな楽しみであっただろう。

皮影戲の衰退

清代後期になると、地方政府の一部は影絵芝居によって夜に多くの人が集まって、反政府運動などの事件が発生することを恐れて、影絵芝居の上映を禁止し、影絵芝居公演者の逮捕なども行った。

さらに清代末になると、白蓮教の乱に巻き込まれて拘束されたたり、戦乱によって民衆は生きることに精一杯となり、皮影戲は大きく衰退した。

第二次世界大戦以降は、全国各地で残った影絵劇団や演者が再び活躍し始め、1955年から各地域で影絵劇団を組織され、公演や文化芸術交流が行われるようになったが、文化大革命によって再び下火になっていく。チャン・イーモウ監督の『活きる』で、文化大革命当時の影絵師の姿が描かれているが、観てみるのも面白いだろう。

元来、複雑で難易度の高い制作工程、色褪せや場所などによる保存問題などいくつかの課題があった皮影戲だが、文化大革命後はテレビやインターネットの発展など時代の変化に伴い、大衆娯楽としての地位を失っていくことになる。

伝統芸術としての発展

皮影戲の上演

大衆娯楽としては衰退した皮影戲だが、中国では多くの戯曲や劇が皮影戲から派生しており、培われた演劇や芸術としての知見は映画の発明や発展にも先導的な役割を果たした。

こうした元祖大衆娯楽ともいえる皮影戲を中国の伝統芸術として残す活動は国家単位で活発的に行われており、2007年には湖北省雲夢皮影芸術団と山東省泰安市範正安皮影工作室が、中国の第1回文化遺産賞を受賞したり、2018年には上海演劇学院が影絵芝居中華優秀伝統文化伝承基地として指定されたりなどしている。

また、2006年には中国の第一次国家非物質文化遺産リストに登録され、2011年にはユネスコ無形文化遺産に登録されているなど、中国の大衆娯楽であった皮影戲は世界の伝統芸術として発展を遂げている。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07

中国の影絵4~皮影戲の流派(一)華南地方

皮影戲分布図

中国は国土が広いため、地域によって文化が異なり、影絵芝居もまた地域ごとに異なる流派を形成した。音楽や歌い方、方言、人形、材料、制作工程など、地域ごとにそれぞれの特徴がある。

代表的な流派としては、冀南皮影、湖北皮影、北京皮影、唐山皮影、山東皮影、山西皮影、陝西皮影、隴東皮影、海寧皮影、陸豊皮影、四川皮影などの影絵芝居が知られている。各地域の皮影戲について、まずは華南地方から紹介していこう。

陸豊皮影戲 (広州皮影)

中国の影絵芝居は北部と南部で大きく分かれるが、陸豊皮影戲は南部にあたる広州と潮州の中間に位置する陸豊で発展した皮影戲だ。

陸豊皮影戲は華南地域で唯一残っている影絵芝居であり、中国の三大影絵芝居の一つである潮州皮影戲の遺物でもあり、文化的価値は高い。現在は国家無形文化遺産に指定され、保護プロジェクトの対象になっている。

陸豊皮影戲は民間から生まれて発展し、閩南語系列の方言を用いる。影絵人形の大きさは60センチほどで、牛革でできており、顔がはっきりしているのが特徴だ。宋代に形成された陸豊影絵芝居は、明、清の時代に盛んに行われて普及した。

参考文献

李丹丹. 传统的皮影. 北方妇女儿童出版社, 2017
李跃忠. 中国皮影. 山东友谊出版社, 2013
中国皮影戏入选人类非物质文化遗产代表作名录,搜狐网.2016-01-22
皮影戏,西安文明网.2014-07-09
皮影戏的分类,中国戏剧网. 2014-07-07